ゲーム理論の誕生に大きく貢献したのはアメリカの数学者であるジョン・フォン・ノイマン(1903〜1957年)です。彼は数学、経済の分野だけでなく、物理学、気象学、計算機科学の分野でも大きな成果を上げた人です。第二次世界大戦中の原子爆弾の開発にも携わっていたとされ、現在のコンピュータの概念を作った人としても有名です。彼の天才ぶりには様々な逸話が残っており、あまりの頭の良さ、驚異的な計算能力、記憶力から「悪魔の頭脳」「火星人」とも評されていたといいます。

 ノイマンは23歳のときにゲーム理論に関する最初の発表を行い、2年後にそれを詳しくした論文を発表しています。社会経済は、互いに影響を及ぼしあう複数の行動主体が存在することでありますが、その行動理論をうまく数学的に説明できませんでした。しかしノイマンは人間の意思決定が相互に影響を与えることを数学的に展開できる形にしたのです。これがゲーム理論の基本定理といわれています。

 その後、経済学者のオスカー・モルゲンンシュテルンと共同で『ゲームの理論と経済行動』を1944年に出版。この本では複雑な人間の行動を数学的に記述することを試みており、この出版によってゲーム理論が誕生したと言われています。

ゲーム理論は『ゲームの理論と経済行動』発表後、すぐに受け入れられたわけではありません。今までとあまりに違う基本原理のために、最初はなかなか普及しませんでした。

 そんな中、ゲーム理論を構築し、広く経済界に受け入れられるようになったのは、アメリカ人数学者のジョン・ナッシュ(1928年〜)の存在が大きいでしょう。

 子どもの頃から聡明であったナッシュは、カーネギー工科大学で数学や国際経済を学びプリンストン大学の博士課程(大学院)に進みます。ナッシはそこでゲーム理論の研究をおこない、1951年、非協力ゲーム(プレイヤーが提携しないゲーム)に関する論文を発表しました。ゲーム理論で重要な概念として「ナッシュ均衡」という言葉が度々登場します(2章で詳しく解説)。ナッシュの均衡はプレイヤー全員が戦略的に最適となる均衡の点であり、この概念が生まれたゲーム理論は大きく進歩しました。ここでも、その功績はすぐには評価されず時間が経過しました。

 ゲーム理論が注目されるようになってきたのは、それから約20年近く1970年代後半、経済学者たちがナッシュの非協力ゲームが経済事象をうまく解決してくれることに気がつくようになり、経済学への浸透が進んでいくようになりました。そしてゲーム理論は経済学で幅広く利用されるよういくのです。